日本を離れフィリピン・セブへ(1998年7月27日)


 7月27日午前4時、目覚ましにうながされて起き出した。今日はセブ島へダイビングに出かける日なのだ。3年前にスクーバダイビングの認定証(Cカード)を取ってから毎年の会社の夏休みはワイフともどもダイビングツアーに出かけるようになってしまった。それも本当にダイビングのみ、いわゆる「観光」ってやつとは無縁のツアーなのだ。

 今朝は成田空港集合が午前7時30分とメチャ早くって、いつもの成田エキスプレスでは横浜からだと一番列車に乗っても間に合わない。そこでインターネットで横浜・成田間の交通手段を調べたらYCAT(横浜シティーエアターミナル)からのリムジンバスが朝の5時から走っているのを見つけたので「これだ!」と、YCATを5時30分発のバスを予約してある。

 YCATまで長男に車で送ってもらい、リムジンのチケットカウンターへ行くと「5時15分のバスに間に合いますがどうします?」と聞かれたので、
(ま、早い分にはいいか)
と予定より15分早いバスに乗り込んだ。
 リムジンバスは「みなとみらい」から首都高速に乗り入れ、湾岸経由で順調に走って行く。今日は月曜なのだが時間が早いせいか、途中の料金所でもほとんど渋滞していない。1時間半で成田空港に到着してしまった。

 午前7時前の成田空港はまだ眠っていて全体に「ヒッソリ」としている。電光掲示板はすべてクローズの状態だ。いくつかある入り口近くの椅子のあたりだけポツリポツリと人が寄り添っている。ほとんど物音が聞こえない。

 ようやく集合時間の7時30分になって、今回のツアーの受付が開始された。今回はGカウンターが我々のツアーの団体受付となっていた。早速チェックインして二人分の大きなダイビング器材バッグを預けてしまい、続けてイミグレーションで出国審査を受け、出国手続きも終えてしまった。後は午前9時30分発のフィリピン航空PR431便に搭乗するだけだ。
 おっと、その前に朝食を摂らなければ…。


 フィリピン航空PR431便は予定時刻を30分ほど遅れて午前10時にエプロンを離れた。そして離陸。
 上空へ上がってからの機内アナウンスで思い出したのだがフィリピン航空は現在乗務員組合のストライキ中だとかで、サービスがイマイチだ。機内では音楽を聴くためのイヤホンも出ないし、スチュワーデスの数も足りないのか男性職員が狩り出されていた。

 最悪だったのは機内でEDカード(出入国カード)が配られなかったこと。今回3度目の海外旅行で初めて自分でEDカードを書くことにしたのだが、今までは3千円位を支払って旅行会社に作ってもらっていたので、かなりのストレスだ。
それでも「たいしたこと書かなかったから自分で書けばいいジャン」というワイフのノーテンキな言葉に乗せられて、作成手数料をケチッたばっかりに飛行機がフィリピンのマニラ国際空港に着陸してからが一騒ぎ。

 機内アナウンスで「EDカードはロビーで配っています」と言っていたので、到着ロビーとオボシキ場所に入るや周囲に目を配るが、誰かがカードを配っている様子は無い。そのまま人の流れに流されてイミグレーションの列に並んでしまった。
「あれ? EDカードどこで配ってたんだ?」と私。
「要らないんじゃないの?」とワイフ。
「そんなバカなことないョ」とあたりを見渡すとイミグレーションと反対の壁の所に案内所みたいな小さなカウンターがあった。
「チョット聞いてこよう」とそのカウンターに近づくと、何人かの人がそこでカードを受け取っていた。
「ここだ、ここだ」と我々もカタコトの英語を駆使してEDカードをもらうと、早速必要事項の記入に取りかかかる。その間にもイミグレーションで入国審査を受ける人の列はどんどん増えて行って、あっという間にちょっとした広さのフロアが人で埋まってしまった。

 (こりゃ、イカン)と慌てて書いたので、見直してみると自分の生年月日の年号が間違っている。最初から私のカードを写す積もりでいたワイフは生年月日もこちらのを丸写ししているし、仕方ないのでまたさっきのカウンターへ行って新しいカードをもらってきて書き直した。

 そんなこんなで、ようやく列に並んだと思ったらこの場所の係員らしき男が
「◎×△♪⊿∴」
とこちらに向かって何かわめいている。
 言葉の最後に「フィリピーノ?」と聞こえたので、どうやら「おまえはフィリピン人なのか?」と言っているようだ。一番短い列に並んだのだが、その列はフィリピン人専用の列だった。参考までに、イミグレーションの中央2列はフィリピン人専用となっているので、これからフィリピンのマニラ国際空港へ行く人は注意しよう。また外国人用の入国審査デスクの上には「MABUHAY(ようこそ)」と現地のタガログ語で書かれている。こんなの英語で書いて欲しいよなァ…。

 結局、入国審査で1時間以上並んでようやく外へ出たら今回のツアーの係員が出口で我々が出てくるのを待っていた。


 さんざん係員を待たせた、と思ったら待たせていたのは係員だけでは無かった。今回のツアーの最終目的地はセブ・マクタン空港なのだが、そこへはこのマニラ国際空港から国内線の飛行場まで移動して、そこからさらに1時間ほど飛ばなければならない。そのために幾つかの旅行社のツアー客をまとめて運ぶためのマイクロバスが用意されていて、それに乗る人が20人ほど我々を待っていたのだ。しかも外のものスゴイ暑さの中で。

 やがて用意されたマイクロバスで国内線の飛行場へと移動。到着した飛行場の出発ロビーは実にサッパリした場所だ。先ず驚いたのが目的地とか便名とかが書かれた表示板がどこにも無いと言うこと。アナウンスは一応英語なので何とか分かるが、ここで離着陸する飛行機便は数が少ないのだろうか?
 次に驚かされたのが、待ち合いロビーでのドリンク・軽食のサービスが無料だと言うこと。これらはすべて航空運賃に含まれているのだろうか?

 しかしフィリピンの人は時間の感覚がおおらかなのか、予定の現地時間午後3時半を過ぎても搭乗案内はいっこうになされない。1時間ほど遅れた午後4時半になってやっとのことで搭乗案内のアナウンスがあって、我々はようやく午後6時セブ・マクタン空港に着陸した。
 そして空港からさらに迎えのワンボックスに分乗して、今夜から一週間お世話になる「パシフィク・セブ・リゾート」に到着した。


 今日から一週間滞在する「パシフィク・セブ・リゾート」はセブ島とは橋でつながっている飛行場のあるマクタン島のリゾート地帯にある。
 ガイドブックによると
 1992年のオープン以来、日本人ダイバーの人気が高い日系ダイビングリゾートホテル。真っ白な砂のプライベートビーチが目の前に広がった気持ちのいいロケーション。日本人マネージャが常駐しているため、初めてでも、海外ダイビングや英語が不得意な人でも安心してステイできる。
と書いてある。

 ホテルに着くと貝殻でできたレイを首に掛けてもらった。そしてここの日本人マネージャと思える人の出迎えを受け、明日からのダイビングの予約の確認をして与えられた部屋へ落ち着いた。部屋は#303、隣の304号室が一緒になった平屋のコテージタイプだった。
 ざっと荷をほどくと、夕食を摂りにレストランへ。今回のツアーは全食事付きなので「食」の心配はない。チェックインの時に渡された食事チケットに、今夜はバーベキューとあったので、炭火か何かで焼きながら食べるのかと思ったらそうではなく、既に焼かれて甘いタレのかかったチキンを出された。ディナーは一皿だけ、それにティーカップ分くらいの長い米のご飯がついている。
「これだけ? 粗食だなァ…」というのが正直な感想。
席についた時に「何か飲み物は?」と英語で聞かれたので「ビール」を注文した。もちろん飲み物は別料金である。フィリピンのビールは「サンミゲル」、それほどクセもなく飲み易い。それにミネラルウォーターより安いときている。

 ちなみにレストランをはじめ、ホテルの従業員との会話はチェックアウトするまですべて英語である。もちろんカタコト英語で十分に意志の疎通は図れるが、それさえ不得手なワイフにはガイドブックに書いてあるように「安心」とは行かないようだ。

 セブでの初めての夕食も済ませ、今朝は日本時間の午前4時に起きたのと旅の疲れとで10時前には眠りについた。と思ったら突然「ゴー!」という音と共に「ガラッ! ドーン!」という雷の音で目が覚めた。カーテンを少し開けて表を見ると、ドシャ降りなんてものじゃない。ものすごい豪雨が降っている。時々光るイナビカリもハンパじゃない。
(おいおい、まだ午前0時だョ)
と、思いながら無理に眠ろうとするのだが、強い雨がトタンぶきの屋根を「ダー!」と叩くものすごい音で眠れるものではない。それに日本を出る時から痛んでいた喉も半分ふさがっている感じがして薬を飲んだり塗ったりしているのだが、体が熱っぽく、ひどく調子が悪い。
(こんな天気と体調じゃ明日のダイビングはパスしようかなァ…)
などと思ってウトウトしていたら、いきなり「ドーン!」という大きな音がして部屋の明かりとクーラーの電源が同時に落ちた。外では相変わらず凄まじい雨と雷鳴が轟いている。
(地球の聡明期はきっとこんな天気が荒れ狂っていたんだろうなァ)
などと暗闇の中で妙にロマンティックな気分になりかけていたが、クーラーの止まった室内はだんだん耐えられない状況になってきた。

 30分ほどで部屋の明かりがついた。しかしクーラーの電源は入らない。蒸し暑さをジッとこらえていては眠れる訳が無い。
 いいかげん汗をかいた頃、何の前触れも無くクーラーが動き出した。時計を見ると午前4時半だった。喉は相変わらず痛い。起き出して喉へのスプレーをシュッとやる。ふと気が付くと外の雷雨はやんでいた。